光明寺のご案内
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浄土真宗について(親鸞聖人の教え)
浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞聖人が開かれた仏教の教えです。誰一人残さず救うという仏様(阿弥陀如来)への信を得て「南無阿弥陀仏」の念仏を称える者は皆、極楽浄土に往生することができる。これは、厳しい修行をした聖者だけが悟りの世界に入れるというそれまでの伝統的な仏教とは違い、阿弥陀如来は、煩悩にまみれた者(凡夫)も、老少・男女・善悪・貴賤の差別なく、どんな者も見捨てることなく平等に救いの手を差し伸べてくださっている、という教えです。
阿弥陀如来に救われるとはどういうことでしょうか。 仏教の教えでは、この世は「縁」という諸々の条件が絡み合って成り立っており、幸・不幸が起きるのも人の善悪の行為もすべて「縁」によるもので、自分の力で思い通りになるものは何もない、と考えます。人は、欲望や怒り・憎しみ、自我へのこだわりなどの煩悩にとらわれ、この世が自分の思い通りにならないことに、悩み苦しみます。諸行無常(すべてのものは常に変化してとどまることがない)、諸法無我(すべてのものに永遠不滅の実体はない)という真理を知ることにより、そんな自分の心が作り出す煩悩の闇から解放し、苦しみから救いに導いてくれるのが仏教の真理です。
それを親鸞聖人は、「無明の闇を破する光明」、「阿弥陀如来の本願」などと説かれました。阿弥陀如来への信をいただくということは、自我やこだわりを捨て、すべてを仏の真理にゆだねることです。これを「ご信心」といい、美醜や大小、善悪といった相対的な価値観に囚われた世界から、仏の真理という絶対的な価値の世界に身をゆだねることであり、生死(しょうじ)への囚われをも超える道です。「南無阿弥陀仏」の名号は、阿弥陀如来がすべての衆生を救うと手を差し伸べていただいていることの印(しるし)であり、お念仏を称えることはその如来の大悲に摂め取られていることへの感謝です。浄土真宗の教えは、今いただいているこの命の尊さに気づかせていただき、五濁にまみれた世の中に生きる苦しみを和らげてくれるものです。
親鸞聖人
東本願寺 伽蘭
光明寺の足跡
光明寺の歴史は、古くは1200年前の延喜式神名帳に記載された由緒正しき意富布良(大洞)神社から始まります。その神社はいつしか神仏一体神宮寺となり、室町時代には京都本願寺第八代ご住職の蓮如上人の教化によって、神社と寺院が分離されました。その寺院が光明寺の祖となる近江祖坊となりました。
その後、いくつもの時を経て岐阜と京都にそれぞれ光明寺岐阜本坊、光明寺京都本院瑠璃光院として移転.現在は全国各地に別院が存在します。
大洞神社
三本の柱
「心の時代」と言われる21世紀は、物質的な満足のみでなく精神的な充足感を得て、本当の意味で人が幸せになれる時代です。光明寺は、仏教の教えを中心に据えて、「布教活動」「霊園事業」「社会貢献活動」を3つの柱とし、ご供養の面から現代に活きる人々への心の安心を提供すると同時に、仏教啓蒙活動や文化保全事業を通じて社会に貢献してまいります。